クブチ砂漠での活動
その1 なぜ砂漠化?
クブチ砂漠周辺は、かつて緑豊かな草原でした。現地の人々はこの草原を利用し、ヤギやヒツジの放牧を行うことで生計を立てていました。ところが、カシミヤ産業の発展と共に環境は激変します。内モンゴルはカシミヤヤギの品種改良により、良質なカシミヤの産地となりました。こうして生産されたカシミヤの多くは日本に輸出されています。
ヤギは草が少なくなる冬の期間、根をかき出し食べる習性があります。それでも春になれば自然の力で芽吹き始め、初夏になるころには元の草原へと回復します。しかし、数が多くなれば自然の回復力では追い付かなくなります。一般的に言われる「過放牧」の状態で、砂漠化の始まりです。過放牧の状態になると負の連鎖が続きます。草原が回復していない状態での放牧は、少なくなった草を多くの家畜で奪い合うことになり、次の冬にはさらに多くの根を蝕むこととなります。こうして徐々に草原は失われ、さらに根を失ったことで砂も流動化し、砂漠地帯が拡大を始めます。流動化した砂丘は近隣の農地なども飲み込み、ますますヤギの放牧への依存度が増し、急速に砂漠化が進行するようになります。砂の移動による影響は当地だけではなく、黄砂となり日本へも被害を及ぼしています。
このような負の連鎖は、クブチ砂漠に限らず中国やモンゴルなどの多くの地域でみられます。近年、カシミヤ製品が安く購入できるようになりました。気軽にカシミヤ製品を購入できるようになったことは決して悪いことではありませんが、その背景には「砂漠の急速な拡大」があることも忘れてはなりません。砂漠化によるカシミヤ産業の衰退は、現地の人々にとっても死活問題となります。放牧と緑化を両立させる新たな産業モデルの確立が、このような地では不可欠となります。
当地では現地政府と牧民が力を合わせ、緑地回復に力を注ぎました。しかし、流動化した砂漠での植林作業は難しく、砂の移動で根が露出し、多くの苗木が枯れてしましました。本団体が当地での活動を依頼されたのは2003年のことです。
砂漠化の進む土地での放牧 |
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砂漠化した土地でヤギの放牧を続ける牧民。貧困で苦しむ現地の人々の生活を否定はできない。彼らも「生きる」ために必死だ。 |
食べつくされた草と迫る流動砂丘 |
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過放牧を続けた結果、わずかに残った草も食べつくされてしまった。背後には流動砂丘が迫ってきている。翌年にはここも流動砂丘に飲み込まれた。 |
保護された土地と自由放牧の土地 |
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写真左が保護された土地で、写真右が自由放牧の土地。この結果を見ても、砂漠化の原因が過放牧であることがわかる。 |
流動化して砂が舞う流動砂丘 |
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流動砂丘はわずかな風でも移動をする。写真は右から左へ砂が移動している様子で、その移動距離は年間10数メートルにも及ぶ。 |
砂の移動により倒れかけるポプラの苗木 |
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流動砂丘に植栽されたポプラの苗木。順調に生育を続けていたが、砂の移動により植栽3年後には倒れる寸前となった。翌年には完全に倒れ、枯れてしまった。 |